
はじめに
職場で誰かが新しいヘアアクセサリーをつけているのを見つけるやいなや、すかさず大声で「なにそれ!かわいいね!」と声をかける。
でも、言われた本人はなんだかすごく気まずそうな顔をしていて……。
その人の褒める声は、目の前の人だけにとどまりません。
電話口やみんなの前で「〜さんがいてこそですよ!」と大声でヨイショしていたり、その場にいない仲間のことまで「流石だよねー」と褒めちぎっていたり。
これだけ聞くと、一見「周りをよく見て立ててくれる良い人」に見えるかもしれません。
冷ややかな空気

でも、周りのみんなの反応はちょっと違います。その大声が響くたびに、オフィスの空気はどこか冷ややかで、「あぁ、また始まったよ……」「また言ってるわ……」という、なんとも言えない空気感が漂うんです。
褒め言葉が聞こえる度になぜか心がザワザワして、小さな不快感が止らなくなってしまう自分がいました。
最初は、私自身も理由がよく分かりませんでした。ただ誰かが褒められているだけなのに、なぜか落ち着かない。嫉妬なのかな、と考えたこともあります。
でもそれもしっくりこない。だんだん分かってきたのは、引っかかっていたのは「褒める」行為そのものではないということでした。
何より、とにかく「うるさい」んです。 休憩時間ならともかく、みんなが集中している仕事中にわざわざ大きな声で言うことではないはず。言われた側だって、オフィス中に聞こえるような声でいちいち注目されたくはありません。
それなのに、あえてみんなに聞こえる大声で連発する。
だからこそ、その褒め言葉の裏に、「こんなに周りの変化や人の良いところに気づける、素敵な人でしょ?」という、無意識の自分アピール感が透けて見えてしまうんです。
そして、「ここでそんなに持ち上げたら、あの人、余計に調子に乗っちゃって困るのに……」という場面でも、お構いなしに太鼓持ちを連発する。
そういう場面が重なるうちに、その人の言葉は少しずつ軽く感じられるようになっていきました。
その軽さとともに、言葉そのものの価値や信頼感も、少しずつ下がっていったように感じます。
さらに厄介なのは、その褒め言葉が、褒められた本人だけではなく、その場にいる人たちの人間関係まで動かしてしまうことです。
一人だけで完結することは、実際にはそう多くありません。
それなのに、みんなの前で一人だけを切り取って「○○さん、ありがとう」「○○さん、さすがだね」と褒める。
すると、一緒に関わっていた人は、「私もやっていたのにな」とどこか引っかかりをおぼえます。
そして今度は、褒められた本人が、周囲から無意識に見定められる立場になってしまいます。
返し方一つで、その人への見方が変わり、本来なら生まれなくてもよかった小さな不満やすれ違いのきっかけになってしまうこともあるのです。
また、この褒めるという一見ポジティブに見える行為の中には、無意識のうちに「評価する側」と「評価される側」という関係性が生まれてしまう側面があります。
持ち物や髪型、ちょっとした変化まで言葉にされるたびに、「見られている」「評価されている」という感覚が積み重なっていく。
私がしんどかったのは、まさにその感覚でした。
褒められる気まずさ

自分が職場で触れられたときも、嬉しくないどころか、なんだか嫌な気持ちになります。
私はまだ新人という立場。周りはみんな先輩たちです。
それなのに、オフィスがシーンと静まり返っているときに、TPOも考えずに大声で仕事のことを褒められたりすると、本当に気まずくて仕方がありません。
「もっとできる先輩たちがたくさんいるのに、私ごときがこんなことで大声で褒められたら、周りからどう思われるか……」と、居心地が悪くて恥ずかしくなるんです。
服や髪型のことだって同じです。
仕事の場では、その場に合った服装を選んでいます。季節が変わったり、買い替えたりすれば、服が少し変わることだってあります。それなのに、少し変わっただけで、みんなに聞こえる声で触れられる。
「今、仕事中にわざわざ言わなくてもいいのに」と思うし、そもそも、そこは触れなくてもいいことなんじゃないか、と感じてしまうんです。
モヤモヤの正体は「上からのジャッジ」?
大声で「いいね!」と評価することは、一見ポジティブに見えて、実は「私はあなたを評価する側の人間です」という、どこか上から目線の心理が隠れている気がします。
何でもかんでも、気づけば触れて褒めればいいっていうわけじゃない。
褒めてることを免罪符みたいに言葉をばら撒くそのスタンスが、ただただ無神経で、うるさくて、嫌だったんです。
“褒められているのにモヤモヤする。誰かを褒めている声を聞くだけで疲れてしまう。”
そんな自分を責める必要はありません。
モヤモヤの正体は、褒めることそのものではなく、配慮のない褒め方への違和感だったのではないでしょうか。
「褒め言葉」という名目で相手の領域に踏み込み、触れなくてもいいことまで言葉にしてしまうこと。
その延長で、無意識のうちに「評価する側」と「評価される側」という関係までつくってしまうこと。
気づいたことを何でも口にすればいいわけでも、褒めれば何でも喜ばれるわけでもありません。
相手には相手の領域があります。髪型や服装、メイク、家族のこと、たとえ悪意がなくても、大きな声で触れてほしくないこともあります。
さらに、その一言で周囲の空気まで動かしておきながら、生まれた気まずさやフォローは周りに委ねてしまう。そんな配慮のない褒め方を、私は「褒め上手」とは思えません。
本当に褒め上手な人の言葉は、不思議なくらい自然に心に入ってきます。大きな声で周囲を巻き込んだり、自分の気づきをアピールしたりしなくても、相手の心の中に静かに残る。
本当にうまい褒め方は、相手の中に静かに残るものであって、周囲まで巻き込むようなものではないのだと思います。
さいごに
「褒められているのに、なんだかモヤモヤする。」そう感じても、自分を責める必要はありません。私自身も、その違和感の正体に気づけたことで、少し気持ちが楽になりました。
その先輩にはよく声をかけてもらい、最初はありがたいと思っていました。ただ、ずっとどこか違和感があった。周りを気にしない無神経さを目の当たりにするたび、もしかしてこの人、厄介な人なのかも、と感じる場面が増えていきました。現在は少しずつ距離を意識しながら、仲間うちからフェードアウトできるよう努力中です。
本当に褒め上手な人の言葉には、不思議とモヤモヤしません。むしろ、「言われて嬉しかったな」という気持ちだけが静かに残ります。
気づいたことを何でも口にする人は、本当に褒め上手なのでしょうか。あなたが「褒め上手」だと思っているその人は、本当に、褒め上手でしょうか。
以上、やられたんこぶーたのオフはなにする?心の処方箋#5でした。
また次回のお話でお会いできたらうれしいです。


